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ビールの歴史を書いた本を読むと、大方起源がメソポタミアのシュメールに始まり、エジプトに移行する。しかし、その後のA.C.10世紀頃のスイスに在ったザンクト・ガーレン修道院でビール醸造が行われていた、と言う話迄の約千年間がよく分かっていない。A.C.1世紀にローマの歴史家”タキトゥス”が彼の著書『ゲルマーニア』で、『ゲルマン人が、大麦或は小麦で造られた、質の劣る醸造酒を、日常的に飲んでいる。・・・・』と記している。にも拘らず、何故千年もの空白が有るのか。それは、記述なり、遺物なり、遺跡なり、証拠立てるモノが無いからである。ローマ人は、経験から得た技術を理論構築し学問にし、実践し、記録し、一部は遺跡として残っている。そして、それをもって領土とした地域に広めた。道、広場、建物、劇場、上下水道、そしてワイン造りも。従って、ワイン醸造の歴史的足跡を辿る事が出来る。悲しいかな、より北方のゲルマン人やガリア人(ケルト、ゴート ・・・ etc。)は、それ程の文明を持っていなかったからであろう、記録が無い。では、如何にしてメソポタミアからこの北方の地にビール造りが齎されたか。或る人は、『穀物文化と供に伝わった。』と言い、また或る人は、『香草と供に・・・・』と言う。ここからが、小生の想像の域を出ない説である。『100匹目の猿』の話を御存知だろうか。宮崎県の石波海岸の近くの幸島に、昔から地元民に『和子様』と呼ばれ守られてきた野生猿の群れが生息している。1953年に一匹の雌猿がイモを洗って食べた。それが仲間に広がり、やがて百匹目が同じ行動をするようになった頃、大分県の高崎山の猿の中にも”イモ洗い猿”が現れた。そして、全国の野生猿に同一行動が見られる様になった。人が、況や猿が伝える筈が無い、しかも幸島は周囲3.5kmの島である。我々人類は、知識に知識を積み上げ発展した。しかし、本源的には略同じ能力を持つ同種の”毛の無い猿”である。上記『百匹目の・・・』と同じ現象が、時間的差異は有ったとしても、メソポタミアやエジプト以外の地で起きても不思議はないだろう。・・・・・・・・次回は、千年先までの過程を空想しよう。
by ceresteaks
| 2005-11-09 10:33
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