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jan君を除けば、我々はシルバー・シーターズである。にも拘らず、我等全員は最高峰(と言っても20m~30m程度であろう。)の礼拝堂を目指し、急坂を登り始めた。我日本では、少しでも危険と思われる人が集まるそんな場所は、必ず手摺や柵が設けられ、階段も整備されているだろう。ところが、欧州で、他の地域でも、多くの場合自己責任を求められる。過剰な安全設備は無い。それは、景観が保たれている一因でもある。以前に、何人もの人が足を掛け踏みしめたであろう所を見付け、足元を確かめながら一歩一歩登った。略、大伽藍の聖堂屋根の高さに、それは在った。眼下に見える大建造物の残骸は、そしてその敷地と取り巻く地形は、圧巻である。往時の人々の”ざわめき”が聞える気がする。稜線の暗くなりかけた空と、夢の跡が栄枯盛衰の理を表している。諸行無常の響きも、微かに聞えた。フランス革命の後、フランス共和国軍に拠って、フランスやベルギーの修道院を初め、過去の権威の象徴が壊滅させられた。小生は山口県の生まれである。長州じゃーね。明治維新の元勲や陸軍の指導者を、多く輩出している。司馬遼太郎氏の著書にある御高説を伺うまでもなく。”勝てば官軍”よろしく長州人の、当時の蛮行は汗顔の至りである。会津の方々の臥薪嘗胆は理解するに難くない。フランス共和国軍とて同じで、狂気のなせる業であったろう。礼拝堂も、その外側だけを残し、枯葉に埋もれていた。我々が登って来た坂道を、修道士達は、毎日毎日、何度も何度も通ったのであろう。さて、登ったら、下りなければならない。登りより、下りが注意を要するのはよく分かっていた。そこで、細心の心配りで、霊に導かれる事無く、最も低い地べたへ辿り着いた。
by ceresteaks
| 2006-04-12 09:52
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